logbog 旅するように生きる

1993年生まれ。高校生で摂食障害発症。今も自分の心地よい生き方を模索しながら小規模多機能居宅介護施設で作業療法士してます。

ぼんやりと。

先日、家の近くの蔦屋書店に行った。

そこでは定期的に何かのテーマにあわせて本を紹介するブースがある。

前回行った時は北欧ブースで北欧の雑貨と北欧の人たちの暮らしや価値観などの本がおしゃれに飾られていた。

今回はd&DEPARTMENTの編集部の方が2か月間、ロングライフの視点でその土地に暮らすように旅してその土地らしい定番を紹介するトラベルガイド

「ⅾ design travel」という本のブースが出来ていた。

 

私はよく旅に行き、特に去年はいわゆるホテルに宿泊するのは辞め、その土地に暮らす人が運営するゲストハウスやその土地に暮らす友人の家に泊まらせてもらいながら月1回旅をした

そうすると地元の人しか知らないご飯屋さんを教えてもらえたり新たなその土地の人と繋がれたり、その土地らしい事が知れたり、私の知らなかった世界に出会える。その出会いがたまらなくおもしろい。展示されていた本はまさしくそんなその土地ごとの面白さが紹介されている本だった。

 

今年は1月の時点で、月始めに行った長野に続き、2人の大好きな友人に会いに奈良に行って来た。

去年は色々な地に行く事が多かったけれど専門学生だった4年前は定期的に奈良に行っていた。私は奈良の地に行くとなんだかとても心が落ち着く。そして奈良に住んでいる友人が何人かいるのだけどとても心地よい友人ばかりだと感じる。だから私は何となく奈良が好きで定期的に行きたくなる。と言っても私の知っている奈良のことなんてほんとに少しだけど。

 

言の森

そんな「ⅾ design travel」という本のブースでやっぱり私は奈良の事が書かれている本を手に取っていた。

読んでいてほっこりした気持ちになったのとますます奈良の魅力を感じた。

そしてその中で奈良の本として紹介されていた「言の森」という詩集に載っている詩がとても印象に残った。

 

「奈良は まち自体が あんまり歳を取り過ぎて ぼんやりしている 気がする」

 

この「ぼんやり」という中に私の奈良の居心地の良さがつまっている気がしてとても心惹かれた。奈良はとても深い歴史を持っていてそれを誇ってもいいはずなのに住んでいる人は奈良には何もないと言う人が多い。

でも何かを誇るよりもこの「ぼんやり」と包み込んでくれるからこそ私は奈良が心地よい気がした。

booklorebooks.net

人生はじめての1人旅

私が人生で初めて1人旅をしたのも奈良だった。専門学生の頃、「半農半xという生き方」という本に出会い、地元の農の会に入って田んぼで作業をしたり、近くの畑をしている人に土いじりをさせて下さいと頼んでいじらせてもらったりしていた。

www.ishes.org

そんな中Facebookで奈良の桜井市で「半農半療法士」という生き方をしている人がいる記事を見つけた。その人は理学療法士として働きつつ、自分で放置耕作地を借り農作業をしていた。そしてただ農作業をするだけでなく畑を地域の人との交流の場にしていた。当時、作業療法を学んでいた私にとって同じリハビリテーションの職種の人が半農半xの生き方を実践している事はとても興味をそそられた。


amp-news.allabout.co.jp

1度気になると居ても立っても居られない私は会った事もないその人に思いの丈をFacebookのメッセージ送ると直ぐに返事をくれた。話を聞くと活動を皆に紹介する為に半農半療法士ツアーというものを定期的に行っているという事で招待してもらった。

いざ行くとなるとふと我に返り、摂食障害の症状にまだ波があると不安が押し寄せた。

「でも行きたい。」

正直に病気の事を説明しみんなとごはんを食べられないかもしれないこと、途中でしんどくなって帰るかもしれない事などを伝えた。それでも快く招待して下さった。

逆に学生の私を心配して駅に迎えに来てくれたりツアーの前日入りした私にお互い自己紹介がてらドライブしながらその人もやっぱり「なんもないんよなあ」と言いつつ奈良を案内してくれた。その時は三輪山に連れて行ってくれた。

と言ってもそこに車でおろしてもらい「1人でいってきなぁ。三輪さん。きっと色々感じることが出来るよ」と1人の時間をさりげなく持たせてくれた。

oomiwa.or.jp

何もないことはなく三輪山は古くから「三諸の神南備」「神様が鎮まる聖なる山」と言われるように山自体を神様と皆が思っていて何とも不思議な空気が流れた場所だった。

私は裸足で登ってる人を見て裸足で登ることにした。ひんやり冷たく少し痛かったけど何だか自分がこの地に生かされていることを感じた。

 

夜は半農半療法士さんのおばあちゃんの家に泊まらせてもらった。

そのおばあちゃんの家は宮大工のおじいちゃんが建てた家でとっても寒かったけれど昔ながらのとても素敵な家だった。おじいちゃんは引退したけれどその日は町役場の巡回の日らしく家にはいなかった。おばあちゃんは鍋をたーくさん作ってくれていて「よばれてやあ」と鍋を沢山よそってくれた。私は「よばれて」と言う言葉も意味もその時初めて聞いたけれどちょっと奈良のことばを知れたうれしい気持ちと優しい感じがした。

おばあちゃんに早く寝なさいと言われつつ、もう1人泊まっていた奈良の五條に住んでいる学生さんと半農半療法士さんと自分達の興味のあることなどを沢山話した。

あまり家族で食卓を囲んだり夜更かしをすることが無かった私にとってはとても暖かい時間が流れていた。

たまたまその場が奈良という地だっただけかもしれないけれど初めての印象がとても心地よかったから奈良が好きと思うのかもしれない。

 

そんなおばあちゃんの家で出会った友人とは意気投合しすぎてそこから年に3~4回は必ず会うようになった。その子は私と出会った頃からすでに生まれ育った五條を盛り上げたいと活動していて、ついに今年五條の実家に住みつつ、別に空き家を借り自分の秘密基地のような場を作った。いつでも遊びに来てくださいと言ってくれたので少し神奈川での暮らしがしんどくなったらまた奈良のぼんやりとした暖かな空気に包まれに行こうと思う。