logbog 旅するように生きる

1993年生まれ。高校生で摂食障害発症。今も自分の心地よい生き方を模索しながら小規模多機能居宅介護施設で作業療法士してます。

職場の仲間と鍋をつつきながら年越しして思ったこと。

2019元旦。

なんだか私は
クリスマスやお正月の時期になると
心がざわつくというか
なんとも言えない気持ちになる。
最近なぜだろうというのを考えていて
クリスマスもお正月も
世間は家族団らんで過ごすイメージが
私にはある。

私は小さい頃から家族が集まる事に
しんどさやぎこちなさを感じることが多かった。
それにはいくつか理由があって
1つ大きい理由は父と対等に話せなかったこと。
今考えると私も私で少し生意気だなあ
と思うけれど
私は小学生くらいから大人とも対等に話をしたい
と思っていて
親にも自分の意見を伝えていたと思う。
それがthe昭和の父という感じの
私の父には生意気だと言われてしまう事が多く、
私と父は喧嘩になる事が多かった。
父と母も何か話をするたびに
喧嘩をしていて私はその間に入る事が多く、
私にはどちらの意見も
理解できるところがあるから
2人の喧嘩に対して
どう思うか問われるのがとてもしんどかった。

もう1つは
父も母も私が幼稚園の時から共働きで
ごはんも普段はバラバラに食べるのが当たり前で
家族が集まる日はとても少なく、
家族がそろっていること自体に
いつもと違うぎこちなさを感じた。

他にもきっと理由はあるのだけれど
私は今、家族と程よい距離感であった方が
居心地が良いので
職場は実家から自転車で
30分以内でたどり着ける
十分通勤可能な距離であるけれど
1人暮らしをしている。

社会人になってから
元旦はいつも仕事のおかけで
あまりお正月の気分を感じず
心のざわつきが少なく時間を過ごせていた。
けれど今年は休みで
私はちょっとブルーになっていた。

そんな時、職場の仲間たちが
晦日に1人のスタッフの家で
晦日から年越しを一緒にして
初詣・初日の出を見ようと誘ってくれた。
この仲間達とは最近「明るい貧困女子会」
という名の飲み会を定期的に開催している。
名前の通り、
私の働いている職場の給料は高いとはいえず
今まで同職の違う施設で働いていたスタッフは
その施設の初任給より低いという
かなりカツカツの生活を皆送っている。
それでも私は今の職場は
他に魅力があるので働けている。
こんな風に日々みんな生活は窮屈だけど
その中でも「明るい貧困女子会」と
女子会中には愚痴もたくさんあるけど
笑いも沢山あって
明日からまた頑張れると思える
楽しい集まりに変えてくれる仲間がいることは
心強い。
この集まり20代から40代と年齢層も
バラバラだけれど
不思議とフラットに話せる空気が流れている。

私の職場はなるべく規則は少なくし、
正しさを固定化させない
always whyで考え続ける事を大事にしている。
正しさがない分お互いの意見や
みんなの価値観を
スタッフ間で共有できていないと
1人で路頭に迷う事が多々ある。
私の職場は開所して3年の
まだまだ新しい職場で
開所当時はスタッフ人数も少なく
コミュニケーションも取れていた。
そのため日々悩むこと、考える事、
疑問に思ったことをすぐその場で
みんなで話して共有することが出来ていた。
最近は少しずつスタッフの人数が増え
今までのように話しあえる場が少なくなっていて
1人で悩むことが多かった。
明るい貧困女子会が出来てからも
日々仕事でもやもやする事、
疑問の量は変わってないはずだけど
その前より明らかに働きやすさを感じる。
それはノージャッジで
フラットに話せる場があって
みんなの思っている事を共有出来た事が
大きいと思う。
そこから自然と仕事の中でも気遣いが生まれたり
困ったときに話しやすくなったと私は感じる。

2019年
他のスタッフともごはんに行ったり、
それ以外のプライベートでも
自分が自分でいられるフラットで話せる場を
複数持ち、困ったを言いやすい空気が
いろんなところで生まれたらいいなと思う。