logbog 旅するように生きる

1993年生まれ。高校生で摂食障害発症。今も自分の心地よい生き方を模索しながら小規模多機能居宅介護施設で作業療法士してます。

空しか見えないね。

1月に奈良に行った時に友人にとても心惹かれる場所に連れて行ってもらった。

「奈良少年刑務所

3日間の奈良の旅で色んな景色を見たけれど一番印象的だった。駅からそんなに離れていない道を歩き坂を登ると突如、住宅街から現れた煉瓦の高い壁で囲まれた西欧的な建物。今までの私の奈良のイメージ「古都奈良」とはかけ離れた、でも、とても立派で、美しくて、見惚れてしまう建築物だった。

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奈良少年刑務所

 

初めは刑務所だと思わなくて友人から刑務所と聞き、中で暮らしていた人のことを考えたりしてなんだか複雑な気持ちになった。そしてなぜか自分が精神科の保護室に入っていた時の事を思い出した。

私は建築物にとても感動したけれどその凄さや感動を表現できるボキャブラリーがなくて一緒に眺めていた友人に「空しか見えないね」と言葉にした。

それを聞いた友人はこの刑務所で生活していた受刑者であった少年達がつづった詩集「空が青いから白をえらんだのです」のことを教えてくれた。

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空が青いから白をえらんだのです

 

そのタイトルと奈良少年刑務所の景観が忘れられなくて奈良から戻って私は近所の古本屋を探し回った。ネットだったらクリックひとつで買えるのだけど私は本屋さんや図書館、古本屋さんで探して探して本に出会えた時の瞬間が大好きなのでよほど急いで手に入れなきゃいけない時以外はそうやってじっくりかけて本に出会って買う。今回もその本を見つけるまでに2週間位かかったけど見つけた時は宝物を見つけたような気分だった。

 

詩集なので文字数は少なくて読みやすいはずなのにだいぶ時間をかけて読んだ。つづった人のことを想像してみたり自分の拒食症時代の過去を思い出したり、共感してみたり。そして読めば読むほど少年たちの心が豊かになって更生していく道のりと私が拒食症でもそこそこ生きやすくなってきた道のりが似ていると思うところがあったので書き残しておこうと思う。 

当たり前の感情を出せない。抑圧、爆発。

 

本の冒頭に

笑う、喜ぶ、怒る、苦しい、悲しい、いやだ、助けてとか日常の中にあるごく当たり前の感情を当たり前に出せず、感情は鬱屈しため込まれ抑えきれないほどの圧力になり時に不幸な犯罪を起こしてしまう事がある事、そしてその原因はその子自身の性質だけでなく家庭や学校環境、社会の環境とか色んな事が複雑に絡み合っているような事が書かれていた。

 

私が発症した拒食症に似ている。

ふとそう思った。

 

私は幼稚園の頃から両親が共働きで母も父も働くことが楽しそうで仕事の話をしている両親はイキイキしていたし、かっこ良かった。おばあちゃんにも留守番していれば「いい子ね」と誉めてもらえたし、可愛がってもらっていた。周りの友達は親に叱られたり小言を言われていたけれど、親が働いている代わりに家事も手伝ったりしていたのでそんなに怒られることもなく自由に家を使えたし良い事もあった。けど多分、本当は寂しかったのだと思う。住んでいたアパートでは他の子のお母さんたちが私のことも自分の子のように「お帰り!」と迎えてくれるけれどやっぱりみんなは自分のお母さんがお帰りと迎えてくれているのにと寂しさがあったり、家で弟と夜まで留守番していれば物音する度に幼心に泥棒に入られたんじゃないかとか怖かった。でも私の強気な性格や負けず嫌いもあったりして親にも強がっていた。そして仕事をやめてほしい訳でもなかったので寂しさを伝えたって困らせるだけだと思ったから、寂しいと親には言ったことはなかった。中学でも生徒いじめする先生が担任で、テストでいくら良い点数をとってもその先生に嫌われている限りは絶対に5は取れないという暗黙の了解があるような学校で育った。この学校社会で生き抜くために私はいかに先生に気に入られるかということをよく考えこの頃、人の目を気にすることがより強くなったし人間不信も強くなった。その代わり今の日本の社会の縮図みたいなのは十分に中学で学んだように思う。笑

そんな風に人間不信だった私は友達関係でもいわゆる仲良しグループに入って、いつか友達に裏切られる怖さとかがあった。反面、本気で世界平和が私の夢でみんなと仲よくしたいと思っていた。それだからか、各仲良しグループの核の子と仲良くなっていろんなグループに行ったりきたりしてクラスのみんなと適度な距離感で遊んでいた。けどそれって結局は人の顔色をうかがいながら浅く広くな関係だったなと今は思う。高校時代もせっかくクラスの子と仲良くなったから嫌われたくないとか人の顔色うかがっていたら自分の感情を押し殺すようになった。

中学まではその抑圧した感情の発散が1人がむしゃらに家を出て散歩したり、図書館で本を読んだり、部活だったりしたのだと思う。今思うと中学の頃の私はとりつかれたようにオフの日も部活。夏休みも3日しかとらず受験試験前も部活ばかりしていた。相当、中学でも何か抑圧された感情が溜まっていたのだと思う。それが高校では拒食症という発散の仕方に変わり自分の体を痛め付けた。

よく拒食症は家庭環境が原因とか言われてしまう。確かに家族との関係も影響はあるかもしれないが、それ以外にも私は自分の性格とか学校時代のトラウマやいろんな事が絡み合って発症したと思っている。

 

私の弟は小学生6年生から高校3年生まで学校に行かないという選択をとった。いじめは受けていなかったがいわゆる不登校だった。

よくよく学校に行かなかった理由を聞くとクラスでいじめにあっている子とも自分は仲良くしたいし授業もちゃんと聞きたい。なのに聞いてると「お前は真面目だな」と言われるしめんどくさいと。

私は弟が両親に言葉で逆らっているのを見たことがない。いわゆる反抗期もなかった弟だった。姉の私は逆らうことも多々ありよくベランダの外に出されていたのに笑

その代わり弟は、「部屋に引きこもる」という表現で自分の感情に気づいてほしかったのかもしれない。弟は小学生の頃、習っていた空手に行きたくなくて家に1つしかないトイレにこもるという作戦にでた。笑

そして部屋に引きこもり学校にもいかなくなった。当時、学校に行かないことが理解できなかった私は弟にあたってしまった。今思えば弟にとってこの何かに「こもる」ことは言語で伝えない弟の表出方法で何かあるときなんだと思う。

 

これは今働いている介護施設認知症の方たちにも重なるところがある。じーちゃんばーちゃんたちも何か不安があると人によって表出方法は違っても何かしら表出する。

いわゆる徘徊と言われてしまうものだったり暴力をふるったり、暴言を吐いたり、過食になったり。でもそれって何かの不安のサインでその不安を取り除くと穏やかに安心に生活できたりする。

社会的にも確かに犯罪はいけないことだと思う。けどそれをおこさせているのは環境のせいでもあると思う。犯罪も不登校認知症の周辺症状と言われるものも1種の何かの表現方法だと私は思う。

安心できる場

本にあった刑務所の教官の方たちは心の底から受刑者の更正を願い、彼らが少しでも生きやすくなるようになんとか力になりたいと、日常から彼らをよく見つめて人生背景も大事にして愛情を注いでいると言うようなことがかかれていたし、本の文面からも教官の愛情を感じた。

本には

ここは安全な場所、何を言っても正面から受け止めてもらえる場、心を開ける場、開いても誰も傷つけない場であることを彼らが感じて初めて信頼され先に進む。一緒に更正への道へ進める。

というようなことが書かれていた。

奈良少年刑務所では教官だけでなく刑務官や心理技官、作業技官、医療技官等、職員がそれぞれ役割を果たし受刑者が安心して人間らしさを取り戻せるように刑務所全体が大きな場として受刑者を包み込んでいる。

私は摂食障害になってからは母が寄り添ってくれた。今まで毎日夜しか一緒にいたことがないから最初はぎこちなかった。拒食症の時の私は理不尽に母にも暴言を吐いた。それなのになぜ見捨てないのか、人間不信な私は母のことも信頼していなかった。

それでも母は高校生の私に今まで一緒にいなかった分を取り戻すかのように本当にずっと付き合ってくれた。周りからは過保護と言われるかもしれないが、私たち親子には必要だった。赤ちゃんの時はだ抱っこされたけど小学生入ってからハグなんて親とはしたことなかったので拒食症真っ盛りのとき母にバグされたときはなんだかとても違和感だったけどそのハグがどんな言葉よりも安心感を与えた。

そんな中で私は母に色んな感情をぶつけ、それでも受け止めてくれ私の不安は何なのか探ってなるべく不安を取り除くことをしてくれた。この人は本気で私を守ってくれる。この人なら何を言っても受け止めてめくれるかもと少しずつ思えるようになり母のことを少しずつ信用しはじめた。そんな安心の場を手に入れてから少しずつ拒食症に取りつかれた状況から何とかしたいと主体的に思えるようになって入院中、部屋に引きこもって誰とも会話しなかったのがレクリエーションに参加してそこで無心になって物を作ったり入院しているじーちゃんばーちゃんに可愛がってもらって自分を受け止めてもらったり人とかかわる事で久しぶりに楽しいとか嬉しいとか、物を作り上げたときに褒めてもらえた達成感とか色々な感情が生まれた。

主治医も体重にこだわるのではなく、高校生活に戻る上での不安をとても丁寧に聞いてくれた。そして人の目が気になる、話すことが苦手、書くことが好きな私に対して、主治医はクラスメイトにあてた手紙を書くことを提案しくれた。

高校の担任は何度も入院中に足を運んでくれて私が安心して高校生活に戻るにはどうサポートしたらいいか本気で向き合って考えてくれた。そして私がクラスにむけて書いた手紙を読む時間を退院して初めて学校に行くときに作ってくれた。おかけで正直にクラスの子に病気の事をカミングアウトできた。クラスメイトに伝えて中にはきっと理解できない子もいたと思うけど私はそれでもよかった。静かに聴いてくれて中にはそれでも一緒に遊びたいと食から離れた遊びに誘ってくれる子や症状が作っている細かなこだわりにあわせてくれる子がいたり、逆に友達も生きづらさをカミングアウトしてくれたりいろんなことが起きた。

こんな風に拒食症から私らしさを取り戻せる道に立つ為に安心感のある空気を私の周りの人が作ってくれた。

社会性涵養プログラム

この詩集の本が作られるきっかけにもなった社会性涵養プログラムというものが奈良少年刑務所では行われている。このプログラムは

SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)

絵画

童話と詩

という3つのプログラムからなり立っている。

SST」では心理や精神科医療の専門家と刑務所の教官が講師となり、挨拶の仕方や嫌なことを頼まれたときの失礼のない断り方など基本的なコミュニケーションスキルを仲間たちとロールプレイなどを通して学ぶ。どんな挨拶が心地よいか、みんなの力で発見していく授業となっている。自分たちで発見した最適の方法は受け身的に教え込まれたものと違い自分のものとして身につく。

 

「絵画」のプログラムでは絵画の基本を学んでから、「無心」に色を塗ったり、対象をきちんと見つめて写生する事で受刑者が言葉からも日常からも解放された無心な時間を過ごすことが出来るようになっている。

 

「童話と詩」では教官も一緒になって絵本を題材に皆の前で芝居のように演じたり、絵本や詩を声に出して読み1人1人の感想を聞いていく。そして最後の授業の時に詩を書いてきてもらう。

 有名な詩人の書いた詩を読むだけでなくすぐそばにいる友の詩の心の声に耳を澄ます時間を持つ。語り合う時間を持つ。

SSTで気持ちを伝える方法を学んで喧嘩をうまく回避する。そんなことの積み重ねで日常が「生きやすく」なったり、絵画で「無心」になって絵を描く時間があったり、詩を書いて自分と向き合いそれを発表し合う場がある。

異なる3つの要素から成り立つプログラムとプログラムを一緒に行う友とのグループワークという「場の力」

刑務所の職員の包み込んでくれる安心感のなかでさまざまな意見が交わされ互いに意見に耳を傾け合う時間がある。自分が発表しているときは残り全員が自分に耳を傾けてくれる。みんなが拍手してくれる。達成感や誇らしさ。

 

私が回復していった過程と同じようにそんなたくさんのことが絡み合って徐々に心のこわばりを溶かし人間らしさを取り戻していくと思った。

 

本の最後に受刑者の更正を成熟させるには2つの条件があることが書かれていた。

1つは彼ら自信が変わること

そして元受刑者を温かく受け入れてくれる社会があること

 まさしくそうだと感じた。

私自身、更正とはちょっと違うけれど

自分自身が今の状況から何とかしたいと思ってから劇的に変わった。

自分がどうにかしたいと主体的にならないといくら周りがよいしょと持ち上げてくれても自分のものにはならない。

そして私自身、母や主治医、クラスメイト、担任の先生、他にも色んな人が病気をカミングアウトした時にそれでも人として受けとめてくれた事がなによりも次のステップに進む糧になった。

 

病気と犯罪少し違うかもだけれどみんな自分にも起こり得る紙一重のものだと思う。

誰もが困った時に信頼して頼れる場や人を何個かもてる世の中であったらいいなと思う。

matome.naver.jp