logbog 旅するように生きる

1993年生まれ。高校生で摂食障害発症。今も自分の心地よい生き方を模索しながら小規模多機能居宅介護施設で作業療法士してます。

朝のミーティング

昨日、朝のミーティングで話していて気づいたこと。

私の職場ではここ最近、朝のミーティングで毎回何かみんなが知っている物を置き、その物に対して1分間は斜にかまえ、もう1分間は斜にかまえずに意見や感想を言う場を作っている。
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この時の「斜にかまえる」は「物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの目で見ること」の意味合いで職場では共有されている。(元々の語源の意味とは違うらしい。)
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つまり1分間は皮肉めいた目でその物を見て、1分間は自分に素直に感想を言ったり肯定する。

私の職場では自分達も含め職場のある地域の人がみんなそこそこhappyに生活できることを目指し、正しいを固定化させずallways whyで最適解を更新し続けることを理念に掲げている。

なので職場では専門職の前に1人の人としてみんな、お互いの価値観や常識を言い合いながら受け止めながら悩み、話し合うことが多い。

今回の「斜にかまえる」ことについてもその延長線上で自分の常識にとらわれず物事を色んな視点で見ようという意図があるのだと私の中で理解していたし、良いことだなぁと思っていたけれどなぜか私はその雰囲気がしんどかった。

旅に出て自分と会話したり、色んな本や映画をみて自分の大事にしたい価値観を知ることで少しずつその違和感の正体がわかってきた。

昨日はラッピングで使うリボンをあるスタッフが持ってきてそのリボンに対してまず斜に構えた意見を出しあい次に斜に構えず意見を出しあった。
他のスタッフは全員意見を出していたのにやっぱりしんどくて私は何も意見を出せなかった。

終わった後、ファシリテーション的存在の1人のスタッフは「小規模のスタッフは斜に構えると意見出にくいねー。(私の職場は小規模多機能居宅介護と訪問看護ステーションがある。)」と言った。

私は意見が出にくいのにはきっとそれぞれ理由があると思うし、ひとまとまりにされるのが嫌で、その時、私はこの場がしんどい事を伝えた。
何がしんどいのか聞かれ、自分でも言語化出来るか自信はなかったけれど意外と言葉はつまらず出てきた。

その時、前提としてこの場が色んな視点で物事をみようという意図は理解していてそれに対しては大事なことだしみんなで話せるのは嬉しい事を伝えた。

でも斜に構えると言う言葉がよくわからなくて色んな辞書やネットで「斜に構える」=「皮肉やからかいの目でみること」と書かれていて実際、話し合いの場でも馬鹿にしたような上から目線でみんなが目の前の物に対して意見を言っている雰囲気が耐えられなかったことを伝えた。

わざわざ馬鹿にしたような言い方をしなくても物事を色んな視点からみる事は出来るし、そもそもこの物を見てみんな感じ方が違うのだから斜に構える構えないと分けなくてもみんながこの物に対してはどう思うかを言い合えばあぁこの人はそういう見方をしてるんだとか気づけていいんじゃないかと思ったことを伝えた。

その理由として私は小さい頃から人も含めてどんなこともその人の一面としかとらえられなくていい悪いのジャッジができないことを伝えた。長所は短所にもなるし短所は長所にもなり得る。だから何が斜に構えるで何が斜に構えないのかがよくわからないことを伝えた。

ここ最近、朝、みんながその物に対して上から目線で発する言葉を聞き、その言葉を浴びた後に私の頭のなかはモヤモヤでいっぱいになり、しんどくて仕事に行きたくないと思うことが多くなったことを伝えた。

伝えるとなぜしんどいのか聞いてくれたスタッフは「いつもは話し合いの時に意見を言うのに毎回、何も意見を言わないし明らかに不服そうな顔してるから何かあるんだろうなぁと思ってたけど早くいってくれたらいいのにー。そっか。それはしんどかったねー」と受け止めてくれた。
そのスタッフもそもそもこのメンバーでこのやり方がほんとにいいのかもわからないんだよねと打ち明けてくれた。
その後、具体的にこれからどういう場にしようとは決まらなかったけれどお互いのしんどさや悩みを打ち明けられ、良い場に私はなったと思う。
と同時に他のスタッフは多少納得がいってなかったり違和感を感じていても折り合いをつけながらその場に参加していたし、私も仕事の中で全部を話し合うのはしんどいので事柄によっては流すことがあるのに、今回、自分の中で納得がいかないとどうにもその場に参加できなかった私はどんな人やものでも対等でいたいとか、自分に素直に生きたいとかそういう軸はぶれたくないからだろうなと改めて知ることができた。

反面、この「斜にかまえる場」に対して私は斜にかまえていたのかもしれないとも思う。